絶対に許せない人がいる

5年前、私が学生だった頃に体験した最悪な記憶を思い出して、時々今でも泣いたりする。所謂 one of the most つらい thingsだ。私は携帯を通学路でさわったというだけで、校長、理事長、風紀指導長、学年主任、担任から怒られた。親を連れて、校長室で。今の学校は、通学路で携帯をいじっても何も言われないのだろうか。とにかく、自分だけ怒られるならまだしも、親まで頭を下げなければならない程私の犯した罪は重罪だったのかとかんがえる。あの時私の携帯をうばったのは家庭科の教師だったが、残念ながら顔はもう覚えていない。それでも、顔を忘れた相手に強い怒りを覚えるし、あの時感じた復讐心は心の奥底で密かに燃え続けている。今のところ、今まで生きてきた中で最悪に憎い相手だ。自分の人生をわずかに狂わせた、そんな家庭科の教師。以降、3年間学校が大っ嫌いだったし、そのせいで勉強から逃げ、結果的に後々苦労する羽目となった。本当に、今でもあそこまでされなきゃいけなかったのかと納得がいかないし、一発殴らせてくれないと気が済まない。公衆電話もすたれていく現代で、なぜスマホを持つことが悪い?なぜ大人たちは時代の変化に適応できない?なぜ繰り返したわけでもないはじめての過ちを寛容に見逃してくれない?こんな何年も前の話を愚痴ったところで何も変わらないし、私がいくら憎んでようと家庭科のあいつは今日ものうのうとお遊びのような家庭科を教え金をもらってるのだろう。ここで吐き出したら少しはすっきりするのかなと思ったけど、思い出したらイライラするだけだった。私は人にイライラすることはもちろんあるけど、その人の内面には悪いところしかないかって言われるとそうでもないから、許せるけど、家庭科の教師は私に悪い面しか見せたことがないから、ずっといつまでも”憎いアイツ”として存在し続けているのかな、と思うと鬱。でも、”この出来事よりかはマシだな”って思えたら乗り切れるかも、頑張ろう、と思えるから、つらいことがあったら、これよりかマシ、人生を狂わされたわけじゃないから、って思うようにしよう。そして家庭科のアイツみたいな大人にはならない。私は一度の過ちなら人間である以上、器用な生き方ができない人は特に失敗してしまうことはあると思うし、そこから反省を活かしてどう行動するか、自分がどういい方向に変われるかを学ぶ方が大切だと思うから。